関市下有知の北部に農業用ため池の赤谷池(あかだにいけ)があります。
2004年11月にこの赤谷池の全面的な水抜きが行われました。
東海環状道工事で土砂が流れ込んだために池の底の状況を調べるのを機会に、同時に本来は生存していなかった外来魚のブラックバスの駆除も行われました。
この企画は地元の下有知5区の中組が中心となり、岐阜・美濃生態系研究会が協力して行いました。
生息していたのは鯉やフナ、そして外来種のブラックバスで、本来生息しているべきカワムツやウシモツゴはほとんど居ませんでした。
以降、下に掲載した整備を行い、現在では絶滅危惧種に指定されているウシモツゴや水鳥が生息する美しい所になりました。
近くには、烏帽子岩、関市指定重要文化財の砂行1号古墳もあります。
2018年4月30日の新緑です。 撮影:下有知5区 平田 紀夫氏
2018年1月25日の冬景色です。 撮影:下有知5区 平田 紀夫氏
2017年11月28日の紅葉風景です。 撮影:下有知5区 平田 紀夫氏
2016年11月25日の紅葉風景です
淡墨桜(うすずみざくら)が植樹されています
2006年(平成18年)11月23日
第57回全国植樹祭開催記念の植樹
2007年(平成19年)10月28日
外来種を駆除した
2010年(平成22年)11月3日
環境市民団体「岐阜・美濃生態系研究会」と「中組環境保全会」で、池干しを行い
ウシモツゴを食べる外来種のブルーギルやブラックバスを駆除しました。
2011年(平成23年)10月31日
「ウシモツゴを守る会」と「中組環境保全会」で赤谷池の池干しを行い
ウシモツゴを食べる外来種のブルーギルやブラックバスが駆除されていることを確認した
2011年(平成23年)12月15日
下有知小学校と、県博物館や市民団体などでつくる「ウシモツゴを守る会」が国の絶滅危惧種に指定されているコイ科の淡水魚ウシモツゴ2000匹を放流した
同校の五年生が育てた300匹のうち150匹や、関高校生物部が飼育した100匹も放流して昔の姿に戻した
2014年(平成26年)11月9日
10月5日(日)に実施した赤谷池の生物の生息状況調査結果、ウシモツゴの捕獲が1匹だった
生息量が少ないと思われるので、ふるさと自然再生研究会からウシモツゴ約300匹を譲り受け追加放流した
2015年(平成27年)10月8日
「ウシモツゴを守る会」と「中組環境保全会」で赤谷池の生物の生息状況調査を実施
練り餌を取り付けた「かご網」14個を各所に仕掛けて、ウシモツゴ(1年魚・2年魚) 84匹を捕獲した
ウシモツゴが多く生息していることを把握でき、赤谷池の環境が適正に保たれている事を確認した
2017年(平成29年)2月19日
中組環境保全会が、「緑の募金」の基金を活用し、地区の小学生を対象に桜の苗木(八重桜10本・枝垂れ桜10本)の植樹を行いました。
また、2010年(平成22年)3月14日に第30回全国豊かな海づくり大会協賛行事の「植樹祭」が行われました。
中組地域環境保全向上協議会(松田洋一代表)と赤谷池管理組合(横山由市代表)の主催で、
赤谷池の周囲約1キロにわたり、財団法人オイスカから提供されたサクラやサツキなどの苗木4種類の合計200本が地元住民や小中学校の児童生徒などおよそ150人によって植樹され、現在ではよく整備された美しい所になりました。
春には新緑がきれいで、秋には木々が紅葉します。
皆様もお弁当を持って出かけてはどうでしょう。
2015年11月6日
下有知区長会
5区区長 平田利弘
赤谷池の入り口のすぐ横には烏帽子岩があります
高さ3mほどで、形が烏帽子に似ていることから烏帽子と呼ばれています
中山一氏と同級生の皆さんにより毎月きれいに整備されています
尾太の山が関テクノハイランドとして開発される事になり、この烏帽子岩を残したいと当時の区長会長の中山一氏が尽力されて1999年4月8日に現在の地に移動されました
下有知5区(中組)区長の松田金一さんは、「烏帽子」の昔ばなしを広く伝えて残しておこうと説明版の設置を計画され、中組環境保全会によりこのたび立派な看板が建てられました。
「烏帽子」の民話は故 池村兼武氏が文章にされて残されましたが、もっと小学生の児童にも判りやすくするために下有知小学校の木股絹子教諭に編集していただきました。 2016年11月25日
烏帽子岩にはこんな民話があります
昔むかし,「朝早く起きてえぼし岩に行くと,岩の上に金色のニワトリと銀色のニワトリが来て『コケコッコー,コケコッコー』と八声鳴く、これを聞くと長者になれる」といううわさがありました。
村の人たちはみんな朝早く起きて,この鳴き声を聞こうと毎朝毎朝行きつづけましたが,ちっともニワトリは現れないので誰も行かなりました。
ところがこの村には正吉という正直な少年が居て、みんなが行かなくなっても毎朝早く起きて岩に行きましたがニワトリは見つかりませんでした。
年が明け元日の朝は大雪でした、そして烏帽子岩にたどり着いてみると今まで見たこともないほど美しい金と銀のニワトリが,大洞の方から飛んできて,えぼし岩の上にとまり『コケコッコー,コケコッコー,…』と八声鳴きました。
「あっ鳴いた本当だ」と正吉はうれしくなり急いで家にもどり,お父さんやお母さんに大声で二度も三度も話しました。 両親も大喜びで,「それはよかった。お前はきっと長者になれるぞ。こんな遠くから通っていてはえらい。あの山のそばに小屋を建てて,そこから通ってそのニワトリにえさをやれ。」と教えました。 正吉は,丸太や枝やわらを使って粗末な小屋を建て,両親に言われるままにお盆に米や麦をのせて烏帽子岩の下に置きました。
夕方行ってみるとえさがなくなっていて「これはニワトリが来て食べたにちがいない」と思って,毎朝毎朝早起きしてはえさを運び続けました。
それからというもの不思議なことに,正吉が作る田や畑からは,他の人の十倍もの米や麦などが取れるようになり,しだいに暮らしもよくなってついには長者になったそうです。
村人たちも正吉にあやかりたいと考え,生まれる子どもに「正」や「吉」の文字のつく名前つけるようになったそうです。
以来,正吉が住んでいる洞を『長者が洞』と言われるようになりました。
正吉の取り入れる稲もかなりの量で,米にする時に出来るぬかも山のようになり、近所にも置けず八幡山の南の畑に積み上げました。
今でもこの辺りを『ぬかづか』と呼んでいます。
その後,戦が始まり正吉も殺されてしまいました。残された家族も戦で次々と死んでしまいました。
最後に残った女の人も戦と家族の不運をなげき,近くの用水池「赤谷池」に身を投げ,正吉一族は絶えてしまったということです。
「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約
2015年9月20日
下有知役員ふれあいまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)