辺りを見渡せる小高い山の頂上にあります
関テクノハイランド開発に伴う砂行遺跡に発掘調査(1997年2月~1998年3月)により、弥生時代末から古墳時代の竪穴式住居跡・大溝と横穴式石室がある古墳・奈良時代の火葬墓などが発見されました。
砂行(すぎょう)1号古墳は古墳時代中期(5 世紀前半)に作られた古墳で、標高約93mの尾根頂部にあり 直径22m 高さ3.8m の円形で、表面には全体に石が葺かれていました。
この古墳は約1600年前の人々の営みを今に伝える大切な遺跡です。
発掘調査によって、古墳の頂上には死者を納めた木棺を埋めた方形の穴が二基見つかっています。
ひとつは盗掘されていましたが、鉄刀や短甲(胴体を覆うだけの丈の短い鎧)の破片が出土し、もうひとつからは直径11.1㎝の銅鏡(神獣鏡)が出土しました。
砂行1号古墳の南西崖下には祭祀の跡である大溝も発見されていて、水田を潤し豊穣を祈る儀式が行われていたと思われます。
古代には関市・美濃市は牟義都国造(むげつのくにのみやつこ・むげつこくぞう)が支配していました。
牟義都(むげつ)氏は立春に若水を汲み天皇に献上する役割を担ったとされていることから、水の祭祀との関わりが深い氏族であったといわれています。
古墳の被葬者は南西崖下の大溝の祭祀を司った首長であり、古墳時代の豪族の牟義都氏の一族である可能性が高いと考えられます。
※国造(くにのみやつこ・こくぞう・こくそう)とは、古代日本の行政機構において地方を治める官職のことです。
※砂行(すぎょう)1号古墳は平成24年5月17日に関市指定重要文化財に指定されています。
頂上には石が並べてあります
古墳のすぐ北に駐車場があります
参考文献
関市ホームページ
ウィキペディア
2016年9月25日
下有知区長会長
下有知ふれあいまちづくり協議会副会長
高橋正次