2015年8月1日に関市下有知の井神社で例大祭が行われました。

1663年(寛文3年)現在の関市一帯は長良川の水位との差が大きく水不足に悩まされ干ばつがたびたび起り荒れ地となっていました。

この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑はこれを見かねて、地元の豪農の柴山伊兵衛と相談し、長良川上流の曽代地区から水を引く用水を計画しました。

固い岩盤を掘削するため、炭や焚き木の火で岩を焼き水をかけて岩を砕きやすくしてから、たがねと金鎚で掘るという厳しい作業が続き多額の費用がかかり工事費は約5,500両にもなり、三氏は私財を全て使い果たし喜田吉右衛門は離脱し林幽閑も行方知れずとなってしまいましたが、柴山伊兵衛は貧しい小屋に住みながら頑張りとおしました。

そして、着工から10年の歳月を経て、約17キロメートルわたる用水が完成し、荒れ地だった関市は美しい水田に生まれ変りました。

農民のために曽代用水完成させた喜田吉右衛門 林幽閑 柴山伊兵衛 の三氏の遺徳を偲んで井神社を建立し、毎年8月1日に例大祭を行って感謝しています。

白山神社の境内の一角に三氏のお墓があります

684年(貞亨元年ころ)の曽代用水完成から10年程後に書かれた曽代用水路の見取り図です

関領主 大嶋義近時代のもの・・・関市役所所蔵を複写

曽代用水は美濃市と関市のこんなに広くの農地(1,095.5ヘクタール)に水を供給しています

例大祭式次第

1.会式の言葉 2.修袚 3.宮司一拝 4.御扉開扉 5.献饌 6.祝詞奏上 7.神楽奉納 8.玉串奉納・曽代用水開祖後えい 9. 玉串奉納・曽代用水土地改良区理事長 10. 玉串奉納・来賓 11. 撤饌 12.閉扉 13. 宮司一拝 14.閉式の言葉 15. 宮司挨拶 16.退場

2015年8月1日
下有知役員ふれあいまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)