下有知に伝わる昔話に 『 神光寺の天邪鬼 』 があります

みなさんは、天邪鬼 ( あまのじゃく ) を知っていますか?

ある人が 「 赤 」 と言えば 「 いや青だ 」 と言うように、他人にさからってばかりいる、ひねくれ者のことを言います。

もともと、天邪鬼というのは、仏様におつかえしている鬼の子供のことです。

ところがこの鬼の子はとてもいたずら好きで、いろいろな所に出てきては悪さをしています。

神光寺は下有知の今宮地区の今宮山の麓で、近くに白山神社が有ります

むかし、むかし下有知で神光寺を造っている時のお話です。

さあ、今日は、お寺の棟上げの日です。

お寺の和尚さん達も村の人達も、どんなお寺になるのかと胸をワクワクさせながら見にきていました。

「 りっぱなお寺になりそうだのう 」

「 ほんとうにのう、いいお寺ができそうだ 」 と言ったり、ワイワイにぎやかに話し合っています。

大工さんたちも、

「 おうい、その木をこっちに持ってこい 」

「 もう少し高く上げろ 」

「 そっちをしっかりささえろ 」 と、大きな声をはりあげて張り切っています。

神光寺の本堂の屋根の下に天邪鬼が見られます

そうこうするうちに、ようやく、屋根もできあがりました。

みんなは屋根を見上げながら、

「 大きな屋根だなあ! 」

「 立派なもんだ! 」と、感心したり、ほめたりしていました。

すると一人の大工さんが、

「 たしかに、大きくて、立派だが、こんな大きな屋根を支えるのに、二本ばかりの柱で大丈夫だろうか? 」 と、心配そうに言い出しました。

他の大工さんたちも、

「 そういえば、太い柱は太い柱だが、二本ではちょっと、心細いなあ 」 と言いました。

「 いやいや、大丈夫だ。 あれだけ太いんだから 」 という大工さんもあります。

「 どうかなあ。 やっぱり、もっとたくさんの柱を使わないと屋根の重さにたえられんぞ 」 という人もおります。

「 大丈夫だ 」 「 いや、心配だ 」と、大工さんたちが、ガヤガヤ、にぎやかに話し合っていました。

天邪鬼が頑張って大きな屋根を支えています

そんな様子を、どこからか見ていた天邪鬼が、ニタニタ笑いながらやってきました。

「 大丈夫、大丈夫。 いらん心配せんこっちゃ 」 といって、大工さんたちをからかいました。

「 天邪鬼か、また何か悪さをしにきたな! お前に建物のことがわかるか。 いらん口出しするやない 」 と、怒りました。

すると、天邪鬼は、「 いいや、おれは、いろんな寺を見て来ているからわかるんだ。

これくらいの屋根だったら、二本の柱で充分だ。

こんな屋根、おれだって、持ち上げれるよ 」 と、バカにしたように言いました。

すると大工さんが、「 それなら、おまえが一度、ためしに持ち上げてみろ 」 というと、天邪鬼は、「 こんなものは、軽い!軽い! 」 と言いながら、さっそく屋根の下に来て、棟木を持ち上げました。

「 どうだい、軽いもんだ 」 とみんなに自慢していました。

大工さん達は、ここぞとばかり、サッと他のツンバリを取ってしまいました。

びっくりした天邪鬼は、棟木を手離すこともできず、必死になって屋根を持っています。

「 こら、何をする。早くツンバリを入れてくれ。 重たいよう 」 と叫びました。

大工さん達は、「 おうい、大丈夫か!そこでしっかり屋根をささえていてくれよ。 屋根は、お前にまかせたからな。たのんだぞ 」 と天邪鬼に向かって叫びました。

そして、「 これで安心だ。 もう大丈夫 」 と言いながら、帰ってしまいました。

それ以来、神光寺の屋根は、今でも天邪鬼が支えているのです。

この屋根は、伊勢湾台風の時にも飛ばされなかったのです。

きっと天邪鬼が、必死に頑張ったのでしょうね。

さて、この天邪鬼が屋根を支えている神光寺には、もう一つ有名な話があります

そのむかし、今から八百年ほど前、源義家が、東北の賊を征伐に行く途中、関を通りました。

そして神光寺に立ち寄って、この戦いがなんとか勝てるようにと、祈願しました。

神光寺の本院様 (神官さんとお坊さんの役をかねた人) は、義家に

「 今年は、運勢がよくありません。 征伐に出かけても、勝てるかどうかわかりません。 今年はやめて、来年まで待って、もう一度出かけられた方がいいと思います 」と、忠告しました。

しかし、この征伐は、朝廷の命令で出かけているのですから、自分勝手に中止するわけには、いきません。

義家は、困っていろいろ考えました。そして、神光寺に法華経、二十巻を納めて、年越しの行事として、

「 これで、運勢のよくない今年は終わった。 あすからは正月だ 」

といい、六月だったのですが、正月の行事を行うことにしました。

東海環状自動車道が今宮山を貫き、すっかり昔の面影が消えたとの事です

すると不思議なことに、翌朝、雪が降り出しました。

あたり一面、紫色の雪が降り積もっています。

義家は、家来に命じて、雪の降っている地域を調べさせました。

すると、雪は、神光寺のまわりの 『 今宮村 』 だけに降っていたのです。

その雪を見た義家は、

「 仏様が、私の願いを聞き届けてくださって、正月にしてくださったのだ。 今年は、確かにきのうで終わって、今日からは、新しい年になったのだ 」 と、確信して、東北へ賊の征伐に出かけました。

さて、この今宮村 ( 現在の下有知今宮 ) にあるお祭りは、「 ヨイヨイ祭り 」 とも言われています。

おみこしをかつぐ時のかけ声が、世の中が良いように、田や畑の作物が良くできるように 「 ヨイヨイ、ヨイヨイ 」 と言うからです。

関市の倉知祭は、 「 サンヤッホー 」 ( 山野豊・・・野も山も豊かになるようにの願いを込めて )

美濃市の美濃祭は、 「 ワッショイ、ワッショイ 」 ( 和紙良い、和紙良い )と言います。

とても面白いですね。

今も神光寺では天邪鬼が屋根支えています、皆さんも頑張っている姿を見て来てください。

「下有知の民話」山田隆氏 著 より要約

2016年1月5日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)