下有知5区の中組環境保全会と赤谷池管理組合が烏帽子岩の説明板を設置しました

下有知には13の民話が古くから伝えられています。

その一つに「烏帽子岩」の昔話があります、しかし今では忘れられて現在の人達に伝わっていません。

下有知5区(中組)区長の松田金一さんは、「烏帽子岩」の昔ばなしを広く伝えて残しておこうと説明版の設置を計画され、中組環境保全会と赤谷池管理組合によりこのたび立派な看板が建てられました。

「烏帽子」の民話は故 池村兼武氏が文章にされて残されましたが、もっと小学生の児童にも判りやすくするために下有知小学校の木股絹子教諭に編集していただきました。

この「烏帽子」は1999年4月8日に当時の区長会長の中山一氏が尽力されて保護されました。

そしてすぐ西には中組環境保全会と赤谷池管理組合によりきれいに整備されていつも美しい「赤谷池」があります。

また南へ100mの所には約1600年前の古墳時代中期(5 世紀前半)に作られ、関市指定重要文化財に指定された標高約93mのところに直径が22m 高さが38mの円形の「砂行(すぎょう)1号古墳」があります。

これら、中組環境保全会と赤谷池管理組合が管理する「烏帽子岩」と「赤谷池」、そして関市が管理している「砂行1号古墳」は誰もが入っても良いことになっていますので、散歩をかねて一度訪れてください。

※「赤谷池」の立ち入りは中組環境保全会と赤谷池管理組合の許可を得ています。

※「砂行1号古墳」はロープで囲われていますが、関市に立ち入ることの許可をしもうちふれあいまちづくり協議会が得ています。

烏帽子岩 えぼし岩(よぼし岩)の民話

昔の人がかぶった帽子を「烏帽子」と言います。

この「烏帽子」に似た大きな岩は『烏帽子岩(えぼしいわ)』と呼ばれ、こんな民話が残っています。  「朝早く起きて烏帽子岩に行くと、岩の上に金色と銀色のニワトリが来て『コケコッコ~、コケコッコ~』と八声鳴き、これを聞くと長者になれる。」といううわさがたちました。

村人はみんな朝早く起きて、この鳴き声を聞こうと毎朝毎朝通い続けました。

でも、ちっともニワトリは現れません。

そのうち、一人やめ二人やめ、誰も烏帽子岩に行かなくなってしまいました。

この村には正吉という正直な少年がおりました。

正吉はみんなが行かなくなっても、毎朝早く起きて岩のところに通っていました。

霜柱が立っている朝も、雪がたくさん積もっている朝も、遠い烏帽子岩にせっせと通い続けました。

でも、やっぱりニワトリは現れません。

年が明け元日の朝は大雪でした。道もよく分かりません。

正吉は「どうしょうかな?」と迷いましたが、勇気を出して出かけることにしました。

ようやく烏帽子岩にたどり着いてみると、今まで見たこともないほど美しい金と銀のニワトリが、大洞の方から飛んできて烏帽子岩の上にとまりました。

そして「コケコッコ~、コケコッコ~・・・」と八声鳴いたのです。

「あっ鳴いた。本当だ。」

正吉はうれしさで叫び声をあげました。

そして、急いで家に帰り、お父さんやお母さんに大声で二度も三度もニワトリの話をしました。

両親も大喜びで「それはよかった。お前はきっと長者になれるぞ。こんな遠くから通っていてはえらい。あの山のそばに小屋を建てて、そこから通ってそのニワトリにえさをやれ。」と教えたのです。

正吉は丸太や枝やわらを使って粗末な小屋を建てました。

そして、両親に言われた通りにお盆に米や麦をのせて、烏帽子岩の下に置きました。

夕方行ってみると、えさがなくなっており「ははあ~ん、これはニワトリが来て食べたにちがいない。」と思い、毎朝毎朝、早起きしてはえさを運び続けました。

それからというもの不思議なことに、正吉が作る田や畑からは他の人の十倍もの米や麦などがとれるようになり、しだいにくらしもよくなって、ついには長者になったそうです。

村人たちも正吉にあやかりたいと考え、生まれる子どもに「正」や「吉」の文字のつく名前つけるようになったそうです。

以来、正吉が住んでいる洞は『長者が洞』と呼ばれるようになりました。

正吉のとる稲がたくさんなので、米にするとき出る「ぬか」も山のようになりました。

近所にも置けず、はちまん山の南の畑に積み上げました。

ですから、今でもこの辺りを『ぬかづか』と呼んでいます。

「下有知の民話」池村兼武氏 著
下有知小学校 木股絹子教諭 2016.06.28. 編集

2016年11月25日
下有知区長会長
しもうちふれあいまちづくり協議会副会長
高橋正次