下有知(しもうち)に伝わる昔話に 『気楽さま』 があります
むかし下有知の中組に気楽さまと呼ばれる一軒の豪農がいました。
この豪農はたいへん気立ての良い人で、いつもみんなの暮らしが良くなるようにと考えていました。
そして神や仏も大切にし、広い屋敷の中には神様や仏様をまつり朝晩にお参りしました。
よく勉強をして色々な事を知っていたので、組や村の人達は判らない事があると聞きに行き、難しい問題が出きるとこの人に相談するようになりました。
村の人達は、この人を神様のような人だと尊敬していました。
こんな良い人なのに、どうしたことか子供が有りませんでした。
気楽さまはある日 「人はいつかは死ぬ時がくる。せめて生きている間に村や組の人に喜んでもらえるような事がしたい。」 と考えました。
「この中組は道や橋が悪い。まずこれを直すことだ。」 と思いました。
自分のお金を出して、今までに見たこともない石で造った橋を架けました。
「木で作った橋は水が出ると流れてしまうが、今度は流れなんだ。」 と、みんなは口々に喜びました。
それからこの辺りを石橋と呼ぶようになったのです。
その頃、八幡様を山の上に祭ることになりました。
土盛りや石組み、拝殿造りなどの重労働も先に立って毎日働きました。
八幡様の拝殿の石垣や石段の石は、この人がお金を出して志摩や生櫛の人に運んでもらったと言われています。
この人の顔はいかにも穏やかで、いつもにこにこしていたので 『気楽さま』 と呼ばれたのです。
そのうちに気楽さまも年をとり病気になりました。
中組の人達は心配して 「早く治りますように。」 と、神や仏にお祈りをしました。
それでも病気はだんだんと重くなり、ある晩のこと苦しい息の下から 「わしは、もうじき死ぬだろう。わしが死んだ後は山も田も畑も、みんな中組の人達にあげましょう。」 と言い、ついに亡くなりました。
中組の人達はひどく悲しみ、ねんごろに弔いました。
そして気楽さまをたたえてお地蔵様を建てて毎年8月11日に御祭りをする事になりました。
それが八幡神社前にある 『笑翁気楽地蔵様』 です。
その後、気楽さまから頂いた田を気楽田といって、この田から取れる穀物を笑翁気楽地蔵様 (しょうおうきらくじぞうさま) にお供えして、お祭りをするようになりました。
この祭りは 『提灯祭り』 と言って、赤と白の和紙で貼った提灯にろうそくを灯してお祭りをするのです。
『 笑翁気楽地蔵様 』は八幡神社の石段のもとにおまつりしてあります、近くには山の講もおまつりしてあります、皆さんもぜひ訪れてみてはどうでしょう。
「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約
2015年12月27日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)