下有知 ( しもうち ) に伝わる昔話に 『 竜ヶ池 』 があります

『 足あとてんじょう 』 に出てきた、竜泰寺には、もう一つ 『 竜ヶ池 』 というお話があります。

竜泰寺までの参道は 『 八丁松原 』 と呼ばれ、そこを通って勅使門に入ると、赤門(山門)手前の右手に 『 竜ヶ池 』 と呼ばれる池があります。 そして、この池の中央にある島の祠には、竜神が祭られています。

昔、竜ヶ池には、一匹の竜が長い間住みついていました。 竜は、だんだん年を取ってきて、いろいろなことを考えたり、昔のことを思い出すようになりました。
お母さん竜といっしょに暮していた小さい頃、そして元気だった子どもの頃、青年の頃のこと。 あの頃は本当に元気一杯でした。
何もこわい者はなく、自分がこの世で一番強く、えらいと思っていました。 そして、お寺を守ることに精一杯力を注ぎました。
台風のときや大雨の時は、水をおさめ、洪水を防ぎました。 お寺にふりかかった災難や、邪悪な心を持った悪魔に対して、力の限り戦いました。
つらい戦いの時も 「 もうだめか、もうだめか 」 と、思いながら、それでも精一杯がんばってきました。

竜は今でも、あの頃のことを思い出すと、自分は本当に強かったんだと思い、 「 なつかしいなあ! あれはいったいどれくらい前の事だったんだろう? 遠い、遠い、昔になってしまった 」 と、寂しそうにつぶやいていました。
又、竜は自分が生まれてから今までの間に、いったいどれだけの数の人間を見てきた事だろうと思いました。
何百、何千、何万、本当に数えきれないほどの人間達の姿を見てきました。
寺で修行をしているお坊さんや、お寺に熱心におまいりにくる村人もいました。 でも、その人たちは、今はもう死んでおりません。

その中には、村人たちから尊敬されて死んだ人、悟りを開いて安らかに死んだ人も沢山いました。 竜は、自分の命の長さにくらべ、人間の命はいかに短く、はかないものかと思っていました。
その竜も自分の死ぬ時が、もうそこまで来ていることを知っています。 そして今、竜は不安で、不安で、たまらなく心細かったのです。 「 おれは、何者よりも強かったのだ。おそれるものなど何もないのだ 」 と、何度も、何度も自分に言い聞かせても、少しも不安はなくなりません。
何日も悩んだあげく、竜は、 「 そうだ、おれもあの人間たちのように仏の教えを聞いてみよう。そうすれば何とかなるかも知れないな 」 と、思いました。

それから、お寺を訪ね華叟禅師(かそうぜんじ)に、 「 私は、もう長く生きている事は出来ないようです。
死ぬ事を思うと心細く、不安でしかたありません。どうか、私にも仏の教えをお聞かせください 」 と、お願いしました。
禅師は、竜の心をあわれに思い、仏の教えを授けてやりました。 竜は、くる日もくる日も教えを聞きに来ました。 やがて竜は死に、禅師は竜の骨を桐の箱に入れて、葬ってやりました。
その晩おそく、戸をたたく者があるので、禅師が開けてやると、そこに死んだはずの竜が立っていました。

そして、 「 仏の道を教えていただいたおかげで、今度生まれて来る時はうろこのある仲間より、もっと神に近い仲間に生まれ変わる事が出来る事になりました。ありがとうございました 」 と、お礼を言い、また天に帰っていきました。

竜泰寺には、今までも櫃(ひつ:ふたのある大きな箱)におさめられた竜骨というものが、秘蔵されています。
そして竜は、竜王権現として、竜泰寺の守り神になっているのです。
その後、竜ヶ池は埋め立てられて、十分の一ぐらいになってしまいましたが、池を埋めて作られた田は、いつまでたっても米の出来が良くなかったという事です。

『 竜泰寺について 』

現在、竜泰寺が建てられている土地の名を『竜ヶ池』といいます。 竜泰寺の勅使門は、南北朝時代に天皇のお使いをお迎えした時に建てられたので、屋根瓦には菊のご紋が入っています。
そして、勅使門までの参道は 「 八丁松原 」 と呼ばれる立派な松並木がありました。

また、末寺には、広福寺、そして文福茶釜で有名な群馬県館林の茂林寺などがあります。

「 下有知の民話 」 より要約 著者は判っていません

2016年1月19日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)