下有知に伝わる昔話に 『 仏どじょう 』 があります
下有知の中組部落の東、竜泰寺の裏山の北には、入江のように山の中に入りこんだ田んぼが沢山あります。
この田んぼには、 『 いちべい洞 』 とか 『 さいべえ洞 』 とか人の名前がついています。
これは、この荒地を一生懸命たがやして、田んぼにした人達の名前をとってつけられたものです。
『 じんねさ洞 』 の向いに 『 笠ぶた 』 と呼ばれる所があります。
ここはむかし、底なし沼になっていました。
ある日、近くで仕事をしていたお百姓さんが、
「 やれやれ、疲れた、少し休もうか 」 と、沼のそばまでやってきて、涼しい木陰で休もうとしたとき、あやまって石につまずき沼に落ちてしまいました。
その沼はどろ沼だったので、出ようとしてもズブズブ、ズブズブと、沼の中にしずんでいきます。
お百姓さんは、 「 助けてくれ、助けてくれ 」 と、叫ぶのですが、体はどんどん、どんどん沈ずんで、とうとうかぶっていた笠だけが、ふたのように残っただけでした。
その事があってから、村の人達は、ここを 『 笠ぶた 』 と呼んで恐れるようになりました。
けれども、田んぼはこの沼の近くにあり、毎日通らなければなりません。
「 このあいだは、吾作どんが、落ちたそうな 」
「 きのうは、権六どんが落ちたそうな 」 と、犠牲者はどんどん増えていきます。
そこで、村の人達は、 「 どうしたらいいんだろう 」 と、頭を悩ませました。
「 さくを作ったら、どうだろう 」
「 うめてしまう事はできないかなぁ 」 などと、いろいろな相談をしました。
そして、近くにあった大岩で 『 笠ぶた 』 の穴をふさぐことに決まりました。
村の人達は、総出で大岩にひもをかけ、
「 そうれ、いくぞ 」 「よいしょ、こらしょ 」 と、声をあわせて引っ張ります。
沼まであと少しという所まで運んで来ました。
けれども、そこからは押しても引いても動きません。
「 よいしょ、こらしょ 」 「よいしょ、こらしょ 」 村の人達も必死です。
けれども、岩はびくとも動きません。
とうとう力つきて、村人達はすわりこんでしまいました。
これを近くで見ていた 『 堪念 (たんねん) 』 という和尚さんが、
「 どれどれ、どうした事かの 」 と大岩を見にきました。
その大岩のてっぺんをのぞいてみると、くぼみの水たまりにどじょうが数匹泳いでいるのを見つけました。
和尚さんは、 「 これこれ、村の衆や。どじょうは仏さまのお使いにちがいない。仏さまも手伝って下さるのだから、きっとこの岩は動く、みなの衆も、もう少しだからがんばってくれや 」 と、励まされました。
村の人達も、
「 そうか、どじょうがいるか 」
「 仏さまも手伝って下さるで、きっと動くぞ 」 と、再び元気をとりもどして、
「 そうれ、よいしょ、こらしょ 」 と、今まで以上の力を出しました。
とうとうこの大岩を、 『 笠ぶた 』 まで運んでふさぐことができました。
それからは、村の人達は、安心して田んぼで仕事をすることができるようになりました。
そして、大岩のてっぺんにいたどじょうを、
「 仏さまのお使いだから、大切にせにゃならんのう 」 と、話しあって、このどじょうを、大洞谷のきれいな水に放してやりました。
農薬を大量に使用する以前は、この付近の谷川には 『 仏どじょう 』 の子孫が繁殖して、たくさんのどじょうが住んでいました。
※ 大洞谷は、現在の清掃センター付近のことです。
「下有知の民話」池村兼武氏 著 より要約
2016年1月30日
下有知ふれあいのまちづくり推進委員会
委員長 高橋正次(下有知区長会長)